大津絵の歴史や味方を初めて知ることに

誰もが見たことはあると思う特に「鬼」
よく見ると「僧侶の格好」をしているのにお気づきでしょうか
僧侶でも中の人は”鬼”という風刺画なんだそう

他にも藤娘、猿、弁慶などいくつかの絵があり、
それを色んな人が東海道を行き来する相手に薄利多売していた絵らしい
そのため、高い絵の具を使用していなかったのであの独特の色彩なんだそう
そもそも大津絵って風刺画だという初めて知った
大津市は東海道53次最後の宿場町で、京の都へ明日行くという場所
その為大勢の人が大津を通過するため、大変にぎわっており近江商人爆儲けだったらしい
なぜ湖国が「滋賀県」になったか
元は大津県だったらしく

その鍵を握るのがこの圓満院

初めて入った

中のお庭はまるで京都の寺院
実はここに大津県だったころの県庁があり、廃藩置県の時にその住所「しがぐんべっしょ」だったので、
「しがけん(滋賀県)」になったそう・・・
やはり滋賀の歴史は大津から
大津京があったのだから歴史は安土城より古いものね

まさかそんなところであったのに知らなかった圓満院にお寺カフェがあろうとは
遊々亭さん

町家かと思ったらお寺に使われていた堂のひとつではないかと(食堂っぽい)

天井が高くて喚起窓があるので・・・寒い
囲炉裏で火を起こしても一酸化炭素中毒にはならなかったしくみ
遊々亭
大津市園城寺町33
圓満院門跡内
10:00~16:00
🅿有
HPはこちら

お粥を

四種類のお漬物と七草粥
払ってもらったのでお値段不明
おいしかったけど・・・これはお腹すくwww

車石
昔、東海道五十三次の大津の宿場から逢坂の関の山越えする時に、この石に車輪をかませていたそう
鉄道の発達に伴い歩いて通る人がいなくなったため、にぎわっていた大津の宿周辺の商売は衰退(今に似ている?!)
それと共にこの車石や大津絵も
車石は大津市内のお店の前などたまに見かけられる
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これが「藤娘」

「弁慶」

「五猿」
見ざる言わざる聞かざる考え猿思わ猿
色んな人が書いていたそう
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